「死にたい」と言われたら「死んでもいいよ」と答えるしかない現実

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「死にたい」に対して僕はどんな言葉をかけるだろうか?

もしも「今日中に死ぬ」と言われた時に、僕は相手にどんな言葉を伝えるだろう?とよく考えます。

この問いに対して、5歳のとき、10歳のとき、15歳、20歳…同じ考え方の日はありませんでした。

これまで色んな経験を積んできて、色んな考え方を習得してきて、人生の節目それぞれで(今だったらこう伝えるなぁ)てのが移り変わってきた。

じゃあ今はどんなことを考え、伝えるのか?

というお話。

後悔しない死に方を選べ

もしも「今日中に死ぬ」と言われたら、今の僕だったら

「後悔しない死に方を選べ」

と伝えるでしょう。

”死にたい”という本人の意向を、他人である僕がむりやりねじ曲げることはできないからです。

僕は他人として、本人の”死にたい”という気持ちを抑え付けてはいけないという義務があるからです。


それは「生きろ!」という暗喩ではありません。

「どうしても今日中に死にたくて我慢できないなら、今日を逃したら明日からまた後悔しながら生きなければいけなくなるということなんだろうから、今日中に死ぬことをあなたは選べるよ」

という、そのままの意味です。

もしも何らかの理由でこちらの生の世界に思いとどまって、それのせいで辛い気持ちが膨れ上がっていってしまうのなら、それこそ”死んだほうがマシ”というやつです。

死なないことに成功しても、生きることに失敗してしまったら、明日を生きる意味がありません。

今日中に死ぬことで明日からの自分が救われる、ということが分かりきっているんだったら、死を選ぶほうが幸福だといえます。

生を押し付ける奴らの言いなりになるな

僕はさいきんこれをずっと思ってるんですけど、生きることと同様に、死ぬことも人生です。

生き続けているうちだけ人生が続き、死ぬと終わる。

↑そもそもこの考え方が間違っているのでは?と思いはじめました。

生をもってして人生だし、死をもってして人生だろう、と。


生きている人間のうちほとんどの個体は、死というモノを漠然と恐れ、死を遠ざけるようにして暮らし、他人にもそれを強要します。

この”強要”の部分だけが僕は間違っていると思っていて、けっきょくみんな自分のために、他人に生を押し付けているだけかもしれません。

  • 悲しい思いをさせられたくないから
  • 寂しい思いをさせられたくないから
  • 悔しい思いをさせられたくないから
  • 虚しい思いをさせられたくないから
  • ”見殺しにした”という負の評判を自分が浴びたくないから
  • 金銭的・肉体的・精神的に損をさせられたくないから
  • とりあえず声をかけておいたほうが今後滞りなく自分の人生を生きられるから

けっきょくみんな、自己保身のための「生きろ!」です。

特に理由も聞いてこず、むやみやたらに「生きろ!」を投げかけてくる奴らの言うことを聞く必要はありません。

もしかすると、あなたのための言葉ではない可能性がありますから。


いまこうして生きている僕らは

”死を自由に選ぶことができるから、生を自由に選ぶことができている”

という現状を受け止めないといけません。

生きてもいいし、死んでもいい、人生は自由であり、自分の人生は自分だけが決めることができます。

他人の選択権を奪って自分たちの思い通りに操作しようとする思想は、殺人犯のそれと同じ。

死にたい人をむりやり生かすのは、人殺しです。

後悔しない人生を完成させよう

これからも生きて、後悔しない人生を完成させるのか?

死をもって、後悔しない人生を完成させるのか?

僕らは自由に選ぶことができます。

だから僕は、生きています。

これからも生き続けることを選んでいます。

このさき考え方が変わるかもしれないけど、現時点では実際にこうして生きていますし、もっと生き続けようとしています。


でも別に、この世が好きなわけじゃありません。

むしろ嫌いなことのほうが多いですよ。

この世がとびきり楽しいわけじゃありません。

この世の仕組みとマッチした、生きやすいタイプの人間でもありません。

この世がこんな僕を救ってくれるわけじゃありません。


ちょっと、死にたい理由を探してみました。

タイムリーなところでいうと、さいきん頭皮がかゆいです。

めちゃめちゃかゆくて、マジでどうしようもないよこれ。

ほんとしんどい、早く死にてぇ。


でも、治るかもしれないから、僕はいま生きています。

死ねば一発でかゆみから開放されて楽になれるけど、もしも生き続けて、もしもこれが治ったら、

頭皮が痒くない快適な人生+生をもってして地球の歴史に立ち会える

死んでブラックアウトして、独りで何も映らない画面だけを眺め続ける人生より、少しムリして生きてみて、地球にいたほうがちょっとくらい楽しめる部分あるやろ、と思うからです。

つまり、相対的に考えて→生きているほうが得だから、生きています。


たぶんこれが、

  • 生きたい→49%
  • 死にたい→51%

と逆転した瞬間、僕は死ぬのでしょうね。

これもまた人生、自分で選んだ、僕の最高の人生。

と、こんな人生の作り方のパターンもありますよ。

自分なりに後悔しない人生の完成形を選んでみましょう。

もしも自分の大切な人だったら?

じゃあ、次いで出てくる、

「今日中に死にたい」と告げられた相手が、自分にとって大切な人だったら?

という課題。

今の僕は、これはちょっぴり悲しいなと思います。


でも、止めることはしません。

悲しいけど、できません。

上に同じく

「後悔しない死に方を選べ」

と伝えるしかないのでしょう。

たとえ一生を添い遂げたい・全力で大切にしたい人であろうと、僕がエゴを振りかざしていい理由にはならないからです。

身体が別々の生き物である以上、それぞれの個体にはそれぞれ別の運命が用意されているからです。


人は死ぬ時に死ぬ。

死んだ時が、死んだ時。

それが今日中ってだけで、自然の摂理です。

残念ながら僕は、自然のパワーに逆らえるほどの権力を持っていません。


僕は曲がりなりにもボーカリストをしていますが、さいきん、大好きな音楽家たちが続々死んでいきます。

「死んでしまった、めっちゃ悲しい」

とは思うけど、じゃあ死ぬ直前に立ち会えたとして「死ぬな!生きろ!」と伝えるか?と考えると…

素直に首を縦には振れません。

100年後には絶対にみんな死んでしまうのだから、自分なりの気持ちで見送ろう。

と、これからも相変わらず考えてしまうのでしょう。

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この記事を書いた人

忌山のアバター 忌山 歌い手(2013~)

いじめられっ子→美容師→ヒキニート→起業家→遊び人|録音~編集~マーケティングまで一人でこなすワンマンクリエイター。歌ってみた動画ソロ作品150本以上、コラボなど参加動画30本以上。MIX実績:某専門学校主題歌ボーカリスト/登録者800万人超(現時点)YouTuber/VTuber etc…|SNSタレントへのマーケティングアドバイス・独自メディア運営・コピーライターなど。|背徳朝呑み愛好家。調味料ジャンキー。鈍行で4時間までは散歩。

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