自己否定、反芻する日々
ふと気付いたことがあります。
僕はある言葉を、冗談抜きで毎日、自分に言い聞かせて生きているんですね。
「その程度でプロになったつもりか?」
という言葉です。
素人出身、素人育ち、素人教育しか浴びてこなかった生粋のド素人が、なぜに今日限りで自動的に生まれ変わって先見の明を獲得できたと思ってんの?
っつー話で。
- なんで無知な自分を信用できんの?
- なんで未熟な自分を認められんの?
- なんで何も成し遂げてないのに怠惰をはさむの?
- なんで生半可なド素人判断で動こうとするの?
- なんで一発で決められると思ってんの?
ノータリンゴミクソド素人が。
ってのを、マジで毎日、頭の中で何度も繰り返し唱えてることに気付いたんですよね。
だから僕は素直に話を聞けるように脳みそを塗り替えたり、自分のやることなすことすべて疑ってかかるように塗り替えたり…
その他にも、生まれ変わるためにやったことがたっくさんあります。
もう、純粋だった昔の僕はいません。
こんな今が一番幸せです。
好きで、やりたいことほど、本気になるべき
↑の言葉は主に、僕が一番大好きで一番やりたいことでもある、”マーケティング”についてです。
マーケティングを成功させる上で一番大切なのは『継続』です。
もちろん知識やデータは大事です、まず最初に用意できなかったら何も成り立ちません。
あらゆる分野の知識を網羅的に熟知する必要があります。
端から端までデータ吸い上げて数値化する必要があります。
すべてを完璧に固めたうえで、さらに完璧な『継続』が合わさって、そこで最終的に”マーケティングの芽”が、ポッと出ます。
これもう死んだんじゃないかってくらい努力した上で、小さな小さな芽しか出せないのです。
これってマジで大変なことで、10回、100回程度の誰でもできるレベルの検証じゃ、マーケティングってモンはうんともすんともいいません。
で、自分なりの全力を出し切ったところで、上には上がいます。
マジで青天井、世間から天才と呼ばれる”努力の虫”は掃いて捨てるほどいます。
フィジカルでもロジカルでも勝てない奴らが、あくびしながら軽々と僕のことを嘲り笑いながら追い抜いていくのです。
「あっちには10万回やってるやつがいるよ?お前はやったの?」
「あっちには100万回やったやつがいるよ?お前はやったの?」
現実的にできるかどうか?なんて関係なくて、やる覚悟があるかどうか?が論点です。
誰かができているのに、僕ができていないのなら、僕の負けなんです。
だから、毎日の自分に対する叱責は止まりません。
ノータリンゴミクソド素人が。
まだしばらく、頭の中のこの言葉が鳴り止む日々は訪れないのでしょうね。
病的だからこそアミューズメント性がある
まぁ、病気ですよねw
こうして病的に反芻し続けているからこそ、得られるものがあります。
いちばん簡単なところでいうと、勉強してない日でもレベルアップしていきます。
ここ数年、レベルが上がらなかった日がありません。
1年で365レベル上がっていく計算です。
料理みたいに、頭の中にある材料の組み合わせを変えて思考することで、新しい思考を発見する毎日。
↑で、これに対しても「その程度でレベルアップしたつもりか?」と言い聞かせていますw
しかも、毎日思考しまくり、それでいて新しい知識を後から後からガンガン入れているもんだから、生きているうちに食材を使い切れる自信がありません。
ノータリンゴミクソド素人の僕が食材を使い切るだなんて、そもそも思い上がった考えなんでしょうね。
こんな毎日ですが、どちらの自分も自分で認めることができていて、自分とすごくいい関係を築くことができています。
じゃああなたは、きのう何を努力しましたか?
おとといは何を努力しましたか?
その前の日は?
その前の前の日は?
その前の前の前の日は?
人生って残酷で、何かをがんばってもレベルアップできる保証は0なクセに、何もしていないのなら衰退確率100%です。
5年がんばってムキムキになっても、ソファでポテチコーラしてたら1年経たずに筋肉が減って脂肪が増えてデブになるのと同じで。
人生、止まったら完全終了。
人間として生まれた以上、僕らはマグロのように死ぬまで泳ぎ続ける必要があるみたいです。